2008年04月22日

日本の心を伝える!パラオのおはなし

(心暖まるお話パートⅢ)
このお話を読ませていただき、涙が止まりませんでした(^^;)ほんとに素晴らしいお話ですよ!!
<世界で最も親日的な国>

                     「パラオのおはなし」
 パラオは1994年にアメリカから独立した時、日本の国旗である日章旗をモデルにした月章旗を作り、時刻の国旗にした。日本の日の丸が太陽を模しているのに対し、パラオはほぼ同じデザインの色違い(青地に黄丸)で太平洋に浮かぶ月を象った。ただ、パラオは国旗の月は日本の太陽と違い、中心から微妙にずれている。これは謙虚にも「同じでは日本に失礼だから」と、わざと中心をはずしたのだという。パラオは日本の国旗を元に自国の国旗を作り、しかも日本の心も忘れない。現地民に愛された日本統治と、受け継がれる礼儀正しい民族性が現れている。ちなみにパラオの国定教科書には全462ページのうち36ページが日本統治時代にあてられ、章には「日の丸の旗の下」というタイトルがつけられている。どの統治国も日本は教育に厳しかったが、それらの教えもルールも単純な賛美など客観的に事実が教えられている。また、今でもパラオでは日常的に沢山の日本語(たとえば「扇風機」「大丈夫」「浴衣」「どうぞ」「大統領」など多数。日常的すぎて現地の若者はそれが日本語であることを認識していないほど)が残っていたり、「桜」の樹が無い国にも関わらず、桜の花に抱く美しいイメージだけで歌を作り、今も愛唱されていたりと、台湾よりもさらに親日的である。日本の統治が終わった時にはパラオでも米国による反日教育が行われたが、年長者に「そんな話はない」とあっさり否定され、浸透しなかった。ちなみに一部に州では英語と日本語が併用されており特にアンガウル州ではアンガウル語、英語に並び、日本語が公用語として使われている。また、パラオ人の「8割」はその姓名のどちらかに「日本式の名前」を付けているといわれる。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。「あそこでみんな死んでいったんだ・・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地がつくられた。老人は村の若者達と共にその作業に参加した。日本兵と仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況が日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。仲間達と話し合った彼は代表数人と日本の守備隊長のもとを訪れた。「自分達も一緒に戦わせてほしい!!」と。それを聞くなり隊長は激高し叫んだという。
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!!」・・・・日本人は仲間だと思ってたのに・・・・・
にせかけだったのか。裏切られたおもいで、みな涙を流した。
船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に出てきた。そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼らは悟ったという。あの言葉は、自分達をすくうためのものだっと・・・・・・。
「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さい島・ペリリュー島の民間人を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に非難させたのである。そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。
日本軍は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という歴然たる戦力差。しかしそれでもアメリカに上陸作戦史上最高の損害比率を出させるほどに抵抗し、
全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。
最期に「サクラ・サクラ」という電文だけを残して。
その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。
戦後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の亡骸を泣きながら埋葬した。後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミとジョージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して作った「ペ島の桜を讃える歌」は、今でも彼らに愛唱されているという。
後にペリリュー神社は青年神職南洋群島慰霊巡拝団やイサオ・シゲオ酋長ら島民の手により「すべて日本から運搬した材料を使って」再建された。この神社の前には戦中は敵だったアメリカ太平洋艦隊指令長官チェスター・W・ミニッツの言葉でこんなことが書かれている。
「この島を訪れる、もろもろの国の旅人よ。あなたが日本の国を通過することあらば伝えて欲しい。この島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶う、その心根を。」
ちなみにパラオに存在するこの神社は、天照大神と戦死者一万余名の「護国の英霊」をご祭神とする神社である。
パラオ共和国大統領トミー・E・レメンゲザウ・ジュニアは、敗戦から復興し様々な分野において世界を牽引する力になっている今日の日本を称え、また、戦時中のパラオ統治に今でも感謝し、パラオは世界で最も親日感情が高い国と言った。そして当時を知るパラオの長老達は今でも日本のことを、「内地」と呼んでいる・・・・・。(終)
如何でしたでしょうか?今回のお話も、鈴木さんより、届けていただいたものです。
また、昔の日本人の温かい思いやりの気持ちがひしひしと伝わるお話です。こういう話を、もっともっと、たくさんの人に伝えていけるといいな~と思います。ありがとうございました。


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Posted by 高濱 耀圭美 at 12:14│Comments(11)高濱の感動記録
この記事へのコメント
自分達が助かる事を考えるのではなく、島の人達を守るために、わざと冷たい態度をとり、島から出て行かせ、でも、みんなが無事に島を出たのがわかり戻れない状態のところで、全員で島の人達に、感謝を込めて見送るために、全員で浜に出て見送ったんでしょうね。こんなに、相手の事を考えて、行動できるってすごいですね。見習っていきたいです!!
相手の事を考えて行動することが、結果的には、自分の事も大切にしていけることにつながっていけるんですよね!!そんな人生にしていきます!!
Posted by ノエビア たえちゃん at 2008年04月23日 11:02
私たち日本人のご先祖様は素晴らしいです。相手のことを思いやり損得なく,命がけで守る…教科書に載ってない実話,こんないいお話,子どもたちに伝えていき,私も相手のことを本気で思いやれる生き方ができるよう日々努力していきます。
Posted by ノエビア福島 at 2008年04月23日 11:52
又すばらしい実話ですね☆パラオという国はすごく前から行ってみたい所の1つです☆相手の事を考えて、行動する事を常に考える自分自身でいたいと思います☆又見つめ直し考える時間をいただきありがとうございました☆
Posted by ノエビア森 at 2008年04月23日 12:45
パラオの島は名前だけ聞いた事があります(=^▽^=) きれいな島☆なんですよね♪(*^ ・^)ノ⌒☆ そんな遠く離れた島で日本の言葉や 日本名が使われているなんて☆ 見てみたい 行ってみたいと思いましたo(^▽^)oでもそれは ご先祖様が命をかけて 戦ったり 島の人達の苦労があって今に至るんですね(*^_^*) 相手を思いやる気持ちは国や立場関係なく 人の心をうごかします(^O^)/ 自分の今している事が 子供やまわりの人達の心を動かせる様に頑張ります(^O^)/
Posted by ノエビア村山 at 2008年04月23日 13:10
またまたご紹介ありがとうございます!昔の日本人は素晴らしいですよね、それをおそれた占領軍のアメリカGHQが戦後の日本を骨抜きにする為の教育を政府に強要したことが戦後教育の根源にあることをどれだけの人がしっているか疑問が残る点ですよね!でも今こそ日本人は日本人らしく丸山敏夫先生の教えの元に「純粋倫理=素直」、を基本に学びつつ「己を正し己を革新し」していきたいのもですね!ご紹介いただいた高濱さまに心から感謝申し上げます!では、今夜のところはおやすみなさい。
Posted by 半田倫理の鈴木和夫です。 at 2008年04月23日 21:05
眼が潤んでしまう内容です。ありがとうございます。
戦中の日本の美談はあまり広く伝わっていません。
もっと知りたいです、どんどん紹介してください。
Posted by 大宮龍幸 at 2008年04月24日 17:54
戦争は 人間の良心を かえてしまう。恐ろしい事ですが この一大事の時にどれだけの人が このような素晴らしい行動がとれたのでしょうか? 人を人でなくしてしまう。戦争はなくなるべきです。世界にはまだまだメディアに登場しない。内戦が 起きています。 小さな子供まで兵士になってしまう。恐ろしいです。でも今日本が戦争に巻き込まれたらどうなることか! 昔の人のように 愛国心や 大切な物をなくしてきているので、
でも どんな時でも 潔さはもっていたいなと思います。とっても感動的な話ですが 妙に考えさせられてしまいますね。
Posted by カッキー at 2008年04月24日 18:16
今回もいろいろ考えさせられるお話で感動しました。去年亡くなった大好きだった祖父も戦争に行き、いろいろ体験談を話してくれました。祖父は、戦争が二度と起こらない事を願うとともに、戦争の恐ろしさを一冊の本にまとめ天国に行きました。今回も感動と考えさせられる素晴らしい内容の実話を紹介いただき、どうもありがとうございましたm(__)m
Posted by 綾子 at 2008年04月24日 20:09
みんな何のために戦ってその尊い命を落とさなければならなかったのか。
「一緒に戦う」と言ったパラオの方の気持ち、せめて島の人たちは守ろうと断った隊長。平和ならどんなにいい関係が築けたことでしょう。ひどいって思います。
そして地球はやっぱり一つなんだなって思います。
亡き人たちの意思を無駄にしないこと・・・「サクラ・サクラ」
パラオの人たちの世代を越えても魂への感謝を忘れない心も。

パラオの人たちに感謝です。日本人でさえ知らない過去の出来事を今に伝えてくれて。忘れてはいけないことを忘れかけているのかも知れない・・・しっかりと物事を見て正しい道を歩みたいと思います。やっぱり勉強が必要ですね。ありがとうございました。
Posted by ひろりん at 2008年04月25日 00:23
またまた素晴らしいお話をありがとうございました。
相手のことを思うからこそ、つらくあたったことばみたいになってしまったけど…
自分がどう思われるか何てのは二の次…
私ももっともっと人のことが考えられる人になるために努力していきます
Posted by ノエビアの原 at 2008年04月25日 13:16
また、ウルウルする 感動のお話ありがとうございました
また 色々考えさせられましたd(-_-)
もっともっと 相手の事を考えて 行動しなくては いけない
そういう人を思いやる気持ちの大事さを子ども達に教えていかないといけないと と思います
Posted by ノエビア 宮島 at 2008年04月25日 14:19
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    コメント(11)