「エルトゥールル号の遭難」  ~生命の光から~

高濱 耀圭美

2008年04月15日 22:02

今回も心暖まる実話パートⅡを紹介します(^^) 半田倫理の鈴木さんに教えていただきました。感謝!!です(^^)

鈴木さんから・・・(なぜこんな素晴らしい事実を日本は教科書で教えないのか!)と、思われるお話ですよ・・と。

和歌山県の南端に大島がある。その東には灯台がある。明治三年(1870年)にできた、樫野崎灯台。今も岸壁の上にたっている。
台風が大島を襲った。明治二十三年九月十六日の夜であった。
午後九時ごろ、度々カーン!と風と波がつんざいて、真っ暗な海のほうから音がした。灯台守(通信技手)ははっきりとその爆発音を聞いた。「何か大変な事が起きなければよいが」灯台守は胸騒ぎした。しかし、風と、岩に打ちつける波の音以外は、もう、何も聞こえなかった。そのとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、灯台のほうに押し流されてきた。
全長七十六メートルもある船。しかし、まるで板切れのように、と波の力でどんどん近づいた。灯台のある岸壁の下は「魔の船甲羅」と呼ばれていて海面には岩が鋭くでている。
船は真っ二つに裂けた。その瞬間、エンジンに海水が入り、大爆発が起きた。この大爆発音を灯台守が聞いたのだった。乗組員全員が海に放り出され、波にさらわれた。
一人の水兵が、海に放り出され、大波にさらわれて岩にぶつかった。意識を失い、岩場に打ち上げられた。真っ暗な中で、灯台の光が見えた。「あそこに行けば人がいるに違いない!」
四十メートルほどの崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着いた。灯台守は、この人を見て驚いた。服は剥ぎ取られ、全身傷だらけだっった。灯台守は、この人が海で遭難した人だとすぐにわかった。「あなたのお国は何処ですか?」・・・・言葉が通じない。
そこで「万国信号音」を見せて、初めてこの人がトルコ人であること、船はトルコの軍艦である事を知った
傷ついた水兵の応急手当をし、灯台守は村の人達に助けを求める事にした。船の遭難を知った男達は総出で岩場の海岸に下りた。だんだん空が白んでくると、海面にはおびただしい船の破片と、遺体が見えた。その目をそむけたくなる光景に男達は泣いた。「遠い外国から来て、日本で死んでいく。」男達は胸が張り裂けそうになった。ひとりの男が叫ぶ。「息があるぞ!!」でもほとんど体温が無い。村の男達は、自分達も裸になって、乗組員を抱き起こした。自分の体温で彼らを温めだした。次々に乗組員の意識がもどった。船に乗っていたのは六百人余りで、助かったのは六十九名。この船の名は「エルトゥールル号」である。
助かった人は村のお寺と、小学校に収容された。当時何も無い貧しい村落に六十九名もの外国人が収容されたのだ。島の人達ははじめて見る外国人をどんなことがあっても助けたいと思った。だが、どんどん蓄えは無くなりついに食料は尽きた。もう食べさせてあげられるものが無い」  一人の婦人が言った。「にわとりが残っとる。」「でもこれを食べてしまったら・・・」「お天道様が守ってくださるよ!!」・・・女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理してトルコ人に食べさせた。こうしてトルコ人たちは一命を取り留めたのであった。また、大島の人達は、遺体を引き上げ、丁重に葬った。このエルトゥールル号の遭難は、和歌山県知事にしらされ、明治天皇に言上された。天皇は直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金鋼」に乗せて、トルコに送還なされた。このことは日本中に大きな衝撃を与え全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。・・・この出来事には、後日物語があります。イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日のできごとである。イラクのアダム・フセインが「今から48時間後にイラン上空の飛行機を全てうちおとす!」と、無茶苦茶な事を世界に向けて発信した。現地にいた日本人は慌ててテヘラン空港に向かった。
しかしどの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国の救援機を出して救出していたが、日本政府は素早い決断が出来なかった。空港にいた日本人達は、パニック状態になっていた。・・・そこに二機の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機だった。日本人二百十五名全員を乗せて成田に向けて飛び立った。タイムリミットの1時間15分前だった。なぜ、トルコ航空機が着てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。前、駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人達や、日本人がしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人達は忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは、子供達でさえ、エルトゥールル号の事は知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘラン空港で困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」以上エルトゥールル号の話は、今から、115年も前の出来事なんですね。そして、20年イラン・イラク戦争の時は、トルコの人達によって、多くの日本人が救われたわけです。明治時代に、和歌山(大島)の人達が、トルコの人達を献身的に助けた。
そして、時代が変わってもその事を忘れなかったトルコ人達が、今度は、日本人を助けてくれた。和歌山の大島の人達も、トルコの人達も素晴らしいですね。尚、この事は日本の教科書には載っていないそうです。この素晴らしい事実はぜひ日本の子供達にも伝えてほしいですね。   (終)
いかがでしたか?素晴らしい事実ですよね!!今だからこそ!伝えて行きたい!!っと思います!!
               最後まで読んでくださって、ありがとうございました(^^)